1986
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等高線を越えて行こう (吉賀氏)
自転車を連れて行ける標高2000m以上の場所の紹介。他に舗装路の下り方のコツなどを紹介している。以下は「エピローグ 顔がニヤける峠の話」から。
夏休み前、こんな事があった。中にいた江口ら数人の1回生を自分の信州ツアーに連れて行こうと僕と外川おっちゃんがしきりに誘っていた時、「峠に登る事こそサイクリングだ」とする僕ら2人と「平地を走ったり観光をしたりが楽しいわけで、峠一辺倒はヤクザのする事だ。」と我々2人の1回生獲得に妨害に入った山田、石垣との間で論議が起きた。 部室の二分しての議論の末、「しんどい思いをして峠に立った時の満足感が最高」という外川に「いや、峠に登ってる最中でも楽しくなってニヤけることがある。」と僕がつけ加えた所で「そんなん変態やー」と集中砲火をあびてしまい、一人だけ悪者となっておひらきとなった。 この「登りのしんどさに顔がニヤける」というのはマゾヒスティックだという人もいて、なかなか理解されないが、「峠を登るうちに、リズムが出てきてノッてくる」と言えば分かる人もいると思う。この時、ぐんぐん踏みこめるのにしんどさはなく、坂道に向かって「まだまだ続けよ、ビシバシ登れよ」などと言いながら、顔が笑ってしまう。登りが何時間、いや丸1日続いてもいいような気分になり、峠が見えてくると拍子抜けしてしまうのである。 僕が峠に求める最大のものはこのノリであり、顔が笑ってしまう一瞬であり、これにはどんな素晴らしい景色も、うまい水と空気もかなわない。 “苦しみの向こうに喜びがある”というが苦しんでいる最中に幸せを感じてもいいじゃないか。一番好きなことでしんどい思いをしている時が、人間一番しあわせな時ではないだろうか、などと考えてしまう。