1988

この年から合宿報告書ができた。

峠事典(多田氏
峠の情報集。川湯温泉の項の記述から今で言う「カリカリ」が「さらい」と呼ばれていたのも分かる。
 
R1 ファーストランの記録(江田氏)
√1の東京→大阪間553kmを走る企画の計画段階からの報告。記録は35時間43分。


GWASSYUKU:1981-87 (S.TOMIZONO氏)

この文章では、氏が経験してきた合宿を振り返っている。以下は、「(7)雑感」の部分である。

 理想的な合宿なんて無かった。あるのは失敗の積み重ね。でも、それぞれの合宿にそれぞれの思い出があり、そこから何かを感じて。そして、少しづつ、ほんとにすこしづつ大きくなってきた。自分が成長することで、「理想」もまた大きくふくれあがって、遠くへ行ってしまう。永遠に終わらない、鬼ごっこ。

7回生の自分が要求することが、初めて合宿に出る1回生にとって、あまりに厳しすぎることは、わかる。自分が1年のときは、もっとでたらめだったかもしれないのに。こんなことを考えていると、口に出かけた文句を、思わず引っ込めてしまう。  はっきりしているのは、自分が既に、口を開いてしまったということ。一度しゃべりかけた以上は、最後まで話さないと、聞くほうも話すほうも気持ち悪い。だから今回の銀輪にも、たくさん書きます。

「俺は、黙ってついて行くだけだよ。これは危ない、って時には止めるけど。」なんていうような、かっこいい言葉を一度は吐いてみたかったけど。お節介な性分だから、無理みたい。  自分は臆病なので、口をはさまずにはいられない。「ここまでは大丈夫で、この先は危ない」なんてこと、誰にも断言できやしない。だけど、その一歩を間違えた時に、どんな恐ろしいことになるのか。

年を重ねるにつれて、思い当たる節も多くなり、ちょっとしたことにもついつい口出ししてしまう。  以前に、「合宿の目的は走ること」と書いたことがある。今書いてる文章を修論とすれば、卒論に当たる銀輪85の中で。これを否定するわけではないけど、別の言葉を使いたい。「合宿の目的は悩むこと」だと。

体力を極限まで使いたいだけなら、トレーニングルームひとつで足りる。でも、違う。うちらの合宿は、レースでもトレーニングでもない。記録をねらってるとかいうのでもない。少なくとも、ペダルを回す作業をしに行ってるんじゃない。  「しまった。」と後悔しても、無常に沈みゆく太陽。本当の闇の恐ろしさ。自分の無力さが情けなくて、落ちこんだり、反対に、ほんの少しのことで子供みたいに喜んだり。自然が相手だから、絶対に勝ち目はないと分かってるから、とっても素直になれる。(恥知らず、とも言う。) 遠慮せずに全力でぶつかって行けるし、泣きわめいても、とがめられない。

もっとも、合宿の場合、一緒に行動する仲間がいるわけだから、人間同士のぶつかりあいというものが生じてくる。部室で顔を合わしている時よりも、もっと地をさらけだした、衝突がある。  行くのか、退くのか。駅がいいのか、公園にするのか。ビーフシチューか、クリームか。各人が悩み、自分なりの答えを見つけ、それを主張しては、すったもんだする。みんなが、それぞれに、一所懸命なのです。

1年の頃は、「何でこんなこと、せなあかんのや」と思うときもあるだろうし、最上回になれば、「口を出そうか、黙っていようか」と悩むことが多い。  合宿中に、もっとミーティングの機会があってもいいと思う。そんな時間があるなら、寝たほうがいいのかもしれんけど。

何年か経ってみたら、思いきり走ったことよりも、何かふっきれないものがあるような、言ってみれば宿題を残した合宿の方が、いつまでも心に残っていて、今の自分に深く影をおとしていることに気がついた。自分が「理想」とするところから遥かにかけはなれていたんだけど、「いい合宿」だったのかなあ。


敗れ去った夢の跡 (冨園氏)  

氏が失敗した企画「大阪環走」(六甲縦走5回分で大阪平野を1周しようという企画)の反省である。以下は最後の文章。  

「企画」というやつは、成功も失敗もする。今、クラブで「行事」と呼んでいるのは皆、「成功した企画」の生き残りにすぎない。特に一年生に、期待したいんだけど、失敗を恐れずに、かつ慎重に、「自分たちの企画」を打ち立てていって欲しい。


P301 ソロ・ツアーの仕方教えます(能勢 達也氏)

 

『はじめに』

経験豊かな上回生と一緒にツアーに出ていろいろなノウハウを一通り学んだら、さあ一人でツアーに出かけよう!!グループでワイワイやるツアーと違ってまた別の味がある。グループで出るとどうしても閉鎖的になりがちである。行った先でその土地の人と話す機会も減るし(土地の人も変な集団には話しかけにくいものだ。また我々もおしゃべりするのにわざわざ見知らぬ人を選ぶ必要もない。)従って物をもらうチャンスも減るのである。 本文は筆者の私が今夏、信州・東北をソロでツアーした時の経験をもとに述べるものである。従って東北以外では当てはまらないかもしれません。念のため。

ー中略(能勢さんの体験を元にソロツアーのテクニックが紹介されている)ー

『さいごに』

ソロ・ツアーといっても人それぞれ様々なやり方があるものだ。僕の場合はとりわけ信州・東北の人の暖かさや人情がとても印象に残ったので、その人たちと知りあう事や景色や味を楽しむ事を目標とするようになったが、それも人から、そうせよ、と教えられたのではなく、ただツアーするに従って(ソロ・ツアーの日数が過ぎるに従って)自然に身についていったものだった。 従って"ソロ・ツアーの仕方 教えます"というタイトルをつけたけど、教えてもらうのでなく(僕の文章はあくまで参考程度にして)自分で自分のソロ・ツアーの仕方を見つけて下さい。


P317 私は吉賀さん(江口氏)

 

ーーかつて阪大サイクリング部にはラオウをもしのぐ恐怖の覇王がいた そして 今 その伝説がよみがえる


P333 新入生に送る必読のバイブル 〜SUPERサイクリストへの道 (下町のメシア)

サイクリング部に入ると初心者が越えなければならないギャップは(走りの面だけで)4つぐらいに分けられると思う。このハードルをすべてクリアした時、一応のSUPER サイクリストになれるというものである。

→ハードル1:上り
このハードルはペダルこぎ用の筋力アップと、少しの精神的あきらめで簡単にクリアすることができるものである。「これがあるからサイクリングはおもしろい。」とまで行かずとも「上りのないサイクリングなんて○○ー○を入れないコーヒーみたいなもんだ。」といいつつブラックコーヒーをすする。という域まで早く達してもらいたいものである。
 
→ハードル2:変な道
ノン舗装路そ走らねばならない時、体力的には路面抵抗の増大に伴って、舗装の1.5倍から2倍のパワーが必要といわれている。そして何より大切な要因は、えんえんと続くダートに対しての精神パワーのロスである。このロスは序々ではあるが確実に精神をむしばんでゆく。
 
→ハードル3:気象
サイクリングは大自然を相手とするスポーツである。ゆえに、自然の気象条件にはいつも気を使うものである。サイクリングの妨げとなる気象としては●雨 ●雪 ●向かい風 ●強風 ●低温 ●高温 etc.があるだろう。 雨が降ると、体温の発散が妨げられ、汗で肌が気持ち悪くなる。また、視野がどうしても狭くなり危険も増すという事にもなってくる。また、雨の中で走ると、ブレーキがきかなくなる。生活用品が濡れてしまう。サイドバッグ等が水を吸い込んで自転車が重くなる。しかし、ここでもまた精神的ロスの問題があり、走り出す時に1/2になった精神パワーは回復することなく、走行時間とともに等差級数的じゃなく、等差数列的にロスしていく。次に精神面で「雨が出発前に降っていたらどうするか」の分類をしてみた。
      1. 積極出発型「ええやんけ。雨は友達や。」と出発する
      2. 消極 〃 「今日はあそこまでいかなあかんからしゃあないなあ。」と出発する
      3. 非出発型 「雨の中走るのはいやっプー。」と連泊してしまう
      4. 優柔不断型「走っとこうかなー。...やっぱりヤーメタ。」とか考えているかどうか、すぐにサ店等に入り、ケツに根が生える。 このハードルをクリアするにはとにかく雨の中を走りまくって「これがノーマル」と自己洗脳してしまうしかない。
→ハードル4:ナイトラン
夜になって走る事である。このハードルの高さは今までの3つよりひときわ高いと考えるのである。その要因は暗くて視界が狭いので危険が増すという物理的なものもあるのだが、それより何より等比数列的に精神パワーをロスしていくという恐ろしい現象があるからなのだ。ナイトランでの精神的ロスは危険防止への注意+闇に対する恐怖というダブルロスであって、長い間のナイトランは精神健康上良くないという報告が日本サイクリング協会からされているかどうかは知らないが、とにかく良くない。 ナイトランは避けようと思えば避けられる性質のものであるし、また避けなければならないものである。特に合宿等では「連れられている」下回生がかわいそうである。
このハードルを越えて、以上4つの複合パターンも軽くあしらえるようになればあなたもSuperサイクリスト。上回生になったら下回生の畏敬の的。密かに「陰のCL」であろう。 みんな、努力してSuperサイクリストをめざしてほしい。