1992

創部25周年記念行事「Here We Go!」の詳細な記録がある。

 


P.190 副部長のこと(八幡 孝恒氏)

副部長

河合さんが去年、この項目を設けて書いておられたので僕も書いてみようと思う。

ハタから見れば阪大サイクリング部副部長なんてなんのName Valueもないしょぼいものだが、部内という極狭い視野に限って見てみるとその重要性は大きい。僕が副部長になろうと思った直接のきっかけは2年の秋合宿であった。非常食やガムをむやみやたらと食べる班員、果てはコース検討における距離・upの甘さによるナイトラン、宿の変更、他班の最終日の行動、などに僕は激しい憤りを感じたのである。特に、非常食については、”走りだけでなく規律の面においても厳しくあるべきだ(これが合宿とツアーの違いである)”という合宿観を持つ僕にとってその時の光景は非常に腹立たしいものであった。

”非常食を食うな”とは言わない。しかし誰かが食べているのを見ると、どうしても自分も食べたくなったりもする。これが悪循環を起こすと休憩のたびに誰かが物を食べるようになり、結果としてだらけたものになる。これではツアーと同じである。秋合宿という若干の特殊性を考えても、9時や10時、14時や15時から、非常食を食べるというのはどう考えてもおかしいと思う。(皆、秋合宿を特別視しすぎである。)こうせずにすむように班で工夫するなり、各自、まじめに努力してほしいと思うのだが、いかがなものでしょうか?

そして2回以上の上回生に言いたいのは、我々がすることを下回生は見ているのである。それをお忘れなく・・・。また秋合宿以外の合宿についても同様である。  こういった2年の秋合宿でおこった宿の変更、非常食への思い、、そして安全に取り組もうとしていた考えのもとにナイトランをなくそうという部長の意向などもあって今年、コース検討とコース反省に時間をかけてきた。正確な距離とupの把握、そして綿密なコース検討、そして合宿終了後、その点についてぬかりがなかったかというコース反省こそがこういった問題を解決する、部として最大の方法であると考えたからだ。

僕は口べたであるせいもあろうが、改選部会の時、新部長立候補の際の所信表明で、下回生にその辺のことを理解されていなかったことが分かった時は残念であった。”細かくコース反省とかしたけど実を結ばなかった”って言ってたけど実を結ばせるのはC.L.をつとめる君達、2回生だったんだよ、西出君。  ランニングについては我々の代が入部してから衰退の一途をたどった現象に歯止めがうてず弁解の余地がない。西出と重田に大きな期待をよせている。


P.204 このたびの旅(東 浩司氏)

クラブのサイクリングと自分のサイクリング

阪大サイクリング部に入って始めのうちはしんどいばかりだった。それでも、他にすることがみつけられなかったせいか気がつくとサイクリングを中心に生活が動いていた。 それでも、自分に体力がないために、「クラブの走りについていけないことの苦痛」を長い間感じていた。

3回生になってようやくそんな気持ちからも解放された。もし、遅い走りを許さない体質が阪大サイクリング部にあったならとうの昔にやめていたと思う。一時期は、T.Tやフリーランなどで精一杯走るのを内心では拒否していた。競いあう走りができたらもっと楽しかったろう、と、そう思う。 速い走りに関して全くダメなかわりにツアーにどんどん出ていた。そのなかから、なんとか自分のサイクリングをみつけようと思っていた。その試みは一応成功したと今は思う。

ー旅はまたずれ 世は情けない

“旅と旅行は違うという。自己の心を友として異郷をさすらう「旅」は失われ、観光地や温泉場をセットにした「旅行」ばかり横行するようになったと慨嘆される”

宮脇俊三『最長片道切符の旅』より

「旅」と「旅行」の違いについて考えこんでいた頃があった。沖縄や北海道で幾人もの旅人に会い、自分のスタイルとは少し違うその姿にショックを受け、この自転車行は「旅」と呼べるんだろうかと悩んだ時期があった。僕らのしていることはさまざまな制約(金や日程など)のもとであっちもこっちもと慌ただしくて、「せっかくだから」と駆けめぐるばかりで中途半端なものである。  自転車で進むことはやはり、所詮は点と点を結ぶ線つなぎにしかすぎないのだろうか。通過してしまうだけで、どれだけの見るべき物を見落としてきただろう。

自転車の速度はたしかに車やバイクなどよりは地域に密着しやすいが、その点は歩きにまるで及ばない。だいいち、道を聞く以外に、その土地の人と話すことなんてどれだけあるのか。  今では別にそんなことじゃ悩んでいない。  旅というのは2泊3日のパック旅行を「旅」と思えばそうなるのだし、一生涯の大放浪も「旅」だと言えばそうなるのである。「旅」に優劣はなく、その人の思い入れの深さにちがいがあるのであり、その人のしたいような「旅」をすればそれでよいのだ。「旅」と「旅行」とのちがいの説明にはなっていないけど、それはいつか、自分の納得のいく旅ができたときにわかるような気がする。

旅人(「プータロー」とも呼ばれる)の存在を知ったのはよかった。 “この放浪は、人間の力で前に進み、人間の感性の超えない自然と調和した速度で移動する、という人間味あふれた乗り物、『自転車』でなくては意味がなかった、と今でも思う。”

『サイクルスポーツ』1990年5月号より

旅が好きなのか、自転車が好きなのか。とにかく、どこか気持ちのいいとこへでかけてのんびりし、自由な空気を味わうのが好きだった。日常の混沌とした惰性な生活から抜け出し、自然の中で頭をすっきりさせるのが好きだった。たくさん食べてたくさん走り、たくさん眠って毎日体中に力のみなぎる感覚を覚えるのが好きだった。「なんかしらんとても幸せ」という顔でいられる、そんな気持ちにさせる叙情が好きだった。  それらの楽しみのために、あえて自転車にこだわる必要はない。“「旅」の一つの手段として自転車を選んでいるんだ”とカッコよく言うことだってできる。

けれど、あいかわらず僕はペダルをこぎつづける。しんどい坂やつまらない出来事があって「なにが楽しくてこんなんしてるんやろ」と思うことはたまにあるけど。  ロゴス(理屈)よりもパトス(情熱)を。自転車の旅に理屈はいらない。

“わたしは平和行進とか何とか、何かを主張するために歩いているのではありません。ただ若いうちにうんと間近から世界を見たいと思っているだけです。”

スティーヴン・ニューマン『世界一周徒歩旅行』