1994

安全走行に関する一般論(牛山牛之助氏) 
安全に関してのHOWTO集。読んでおくべき。

「OUCC部員の選ぶ日本百名峠と次点15峠」
 
ツアー日記(林氏)
氏による、冬の北海道のソロ走行記録。降り積もった雪雪雪...の写真に圧倒される。
 

 


P315 酒 (斎藤 尚氏)

酒はうまい。コンパは楽しい。クラブの後に皆で毎週毎週飲みに行くのは、良い事だと思う。酒は文化の大きな産物であり、多様な種類を持ち、味、匂い、色なども多岐に渡っている。 コンパとは、その場の雰囲気を楽しむものである。酒を飲まない人でも、もっと楽しんでほしい。楽しむための潤滑油としての酒の効果は素晴らしいと思うので、飲める人はもっと飲むべきだ。みんなもっと酒を飲もう。飲んでたら好きになるって。


P321 "自然"を求めて (岩本 俊栄氏)

僕は山が好きである。山が好きといっても登るのではなくて、山のある景色を遠くから眺めるのが好きなのである。景色のために山に行く道のりが好きなのである。 1回生のころは自転車が余り好きではなかったが、2回生になると山を求めて、自然を求めて走るのがやめられなくなった。ダートの雰囲気、排気音のない道、鳥のさえずり、雨音、タイヤが踏み締める小石の音などを求めるようになった。こういうのは車、バイクでは味わえない。 いろいろ走り回ったが、夏に知床峠に到達した時、大きな衝撃を受けた。今まで自分が思っていた自然は違う!知床峠には本当の自然が残っているーーー。僕には、まだまだ知らない本物の大自然があったのだと実感した。 僕は自転車に乗って自然とふれ合う時間が楽しいし、気が安らぐのである。どんな形にしても、時間にほとんどとらわれない。自転車旅行は本当にいいもんだ。


P495 〜お酒の話〜 (村上 雅洋氏)

大学に入ってから、お酒を飲むようになった。1回生のころ、先輩の後ろについて居酒屋などに連れていってもらった。一番最初に言われた事が、「先輩に注いでもらう時は両手で受け、注ぐ時は両手で注ぐように」だった。後、注いでもらう時はグラスを空けてからというのも言われた。今でも、1回生が始めて飲みに連れていってもらった時には聞く言葉だと思う。始めは「ナンジャコリャ」と思うかもしれないし、今も思っている人もいるかもしれない。しかし、これがクラブの礼儀の一つなのです。最近私が人に注ぐ時、「無理して空けなくてもいいよ。」とは言うけれど。やっぱり、ぐっと空けてもらった方がうれしいなと思います。私だけでしょうか.....。


P497 五月 吹田キャンパスに 不思議な綿が降り積もる(あだち ひでき氏)

この随想ではサイクリング部におけるさまざまな事象に疑問点を見出し批判している、いわば批判集である。ここに掲載するのはその一部である

色々な項目について、クラブの雰囲気に呑まれずによく考えて、多くの人が感じているのに、正式に文章にされないようなことや、独りよがりの思考による皮肉いっぱいの批判を書いた。読みたい所だけ読んで頂戴!うなずける所だけうなずいて頂戴! ・読むに当たっての注意 面白おかしくするために皮肉をたくさん盛り込んだので、傲慢な暴言を記述している箇所があるけれど、そこはそれ、ちょっとした御愛嬌であることを僕の性格から汲み取ってね。あと、僕の「主張」と 「行動」が全然一致してない理由も、やはり性格のせいだと思ってね。

<追い抜く時・追い抜かれる時>

自由ランは競争とは違い、自分のペースでこげばいいのだが、班の雰囲気、ゴールまでの距離、さっさと上ってゆっくり休もうという考え方によって、実質的にフリーランとなることもが多い。ところで、時速10km程度の戦いでは、追い抜く時、追い抜かれる時に相手を意識する時間が充分ある。そこには様々な心理状態と、思考が交錯し、その結果、一言だけ言葉が行き交う。(例;頑張れ、しんどいのう、速いなあ)という、奥深い精神世界が存在することは、周知の事実だろう。そして、追い抜くものは、更に気力充実、抜かれたものは一層ペースが落ちる。両者が先輩後輩だったり、部内で速いといわれているような人とそうでない人だったりすると、気まずさ、悔しさ、「してやったり」的感情さえ生まれるようだ。

こういう場面で僕が経験した、相手の様々な反応を列挙するのは興味深いことではあるが、紙面と人間関係の都合上省く。だが、かなり一般的と感じられる二点を挙げてみる。 「先輩は速し、後輩は遅し」 やはり経験と荷物の違う先輩としては、抜かれるのは悔しいのかな。(人にもよるが。) 「体力より、気力」 デッドヒートで競い負ければ、今までの元気もどこえやら。ひとたび遅れるとずるずる差は開き、クルージングモードに切り替え。ゴールの着けば涼しい 顔で、「遅かったのは全然本気出してないから」という態度を強調する。

<おごられる時・おごる時>

後輩は悟られぬよう期待し、先輩は密かに人数の比率と財布のチェック。後輩は卑しい態度は見せたくないし、先輩はケチ臭く思われたくない。ま、こう解釈すれば面白いだけのことであって・・・。

<乗り慣れても・・・>

チェーンがはずれても、そのまま何回転か空こぎしてしまう。 インナーで上り終って下った後、アウターにしていないことに気付かず、高スピード状態で思い切り空こぎする。 たとえ交通量が少なくても、バス停などで道が左に広がっていたら、左寄りのコースをとってしまう。 前の人が背中を掻いたりすると、ストップの手信号と間違えかける。

<クリスマス・コンパ>

あれだけの食物を無駄にし、膨大なゴミを生むクリコンは、廃止、否、禁止すべきだ。あの時捨てられるたくさんの物たちは、なぜ買われたのだろうか? 日頃、○○○なことを言うわりには、大人のやる事とは思えん。この考えは特別非常識だろうか?

<ルールを破る時のルール>

先日、僕の理解能力の限度をはるかに越えた、細かな手信号について話し合われた。 はっきり言ってうんざりした。「アホの集いか、これは!」 日本人は臨機応変でなさすぎる。規則がないと、自分で判断できない傾向がある。証拠は日常にゴマンと転がっている。安達に言われりゃ世話ないわ、と思うなら、西サに対して手信号統一を求めた自分を責めろ。自分にも他人にも、絶対迷惑をかけない責任 を持てるなら、自分の考えに沿って、とるにたらぬ形式だけの規則など破ってしまえ。 全く安全なら、信号無視してなぜ悪い? 安全なら必ず無視せよと言う訳じゃない。もし この意見に反対なら、あなたは信号を守ればよいし、他人にそう説けばよい。だがあな たが説き伏せられない人にまで無理強いできようか? 僕が、信号無視を強制しないのと 同様に。 確かに僕は、世間を甘く見ているかもしれない。あなたが社会常識にとらわれ過ぎて いる可能性と同程度に。どちらが危険なのか、どうやってはっきりと決められようか! 細かな規則を取り決め、厳守する事よりも、根本的にもっと大切なのは、誰にも迷惑 (実害も不快感も含め)をかけない事だと分かっていれば、障害者に対し、路駐車と同じ ように「障害」と声かけた、あってはならぬ事件も起こらなかったはず。部会では「そ ら、CLがアホや。」で片付けられたが、あそこで声をかけないのは規則違反であるし、 何よりも、その身障者がサイクリストに対して、悪い偏見を一生抱き続けるであろう事 に、どれだけの人が深刻になっただろうか? 僕は、頭の固い人間にだけはなりたくない、言い換えれば、常に真面目なユーモアの 持てる人間でありたい。そのためには、周囲に頭カチコチの分からず屋が是非いて欲し いね。


P466 M.V.P. あだち ひでき

引退を迎えて、どうしても伝えたかった正直な気持ちは、改選部会の厳粛な壇上で、しどろもどろなものとなってしまった。だから今度は文章として、銀輪の片隅に永久に残しておきたいと思う。もちろん、格好つけたい訳でも、僕の意外な一面を見てもらいたい訳でもない。これからもどんどん変わり続けるであろう、僕の信念の途中経過を記録するために、である。従って、僕の考え方に反対の人は、充分反論してほしいし、全く興味のない人は、読まなくてもいいし、「ここまで言う権利は安達にはない」と思う人は、この頁を千切り捨ててもらってかまわない。

三年間で一番良かった事は、どの景色でも行事でも出来事でもなく、屈辱、惨めさ、恥ずかしさ、憤怒をも含めた多様な経験により、自分を高められた事である。つまり、こんな偉そうな文章を、自身を持って書けるまでに、自分の信念をしっかり固められた事である。現時点で、僕の考えやそれに基づく言動には、非論理的な所はほとんど見られないとさへ宣言できる独りよがりの論理学にすぎないが。

斎藤君の言葉「楽しむ、とラクをする、とは違う」は、とても心に残った。僕もそう思うし、それを証明する「僕の」経験がある。問題は、誰もがそう思うかだ。例えば、石井君はラクをする事でクラブやサイクリングを大いに楽しんでいた。逆に、あの言葉にうなづいたすべての人が、T.Tに全力を尽くしているとは思えない。斎藤君はこれから「楽しむ、とラクをする、とは何処が違うのか」「ここで言う『楽しむ』の定義とは何か」「そこまで楽しむ事を追求するのはなぜか」の議論をしてほしい。そして僕が言いたいのは、「ああ楽しかった」で終わっては、時間と経験の浪費である、という事だ。

若いうちにしか出来ない事がある。過酷な旅も然り、酒乱も然り、大勢の仲間と経験を分かつ事も然り。ただし僕らの最終目的は「楽しむ事」でも「全国を巡る事」でも「自分という人間を一人前に育んでいくこと」であろう。他人の意見を聞き、吟味し、ふるいにかけてから受け入れるのは、若い柔軟な頭でしか出来ない高等テクニックである。自分の意見を押し通す事くらい、年老いてからでも出来る。 ただ、残念なことに、体力的、感情的パワーは人一倍あるのに、思考回路の老化がだいぶ進行している人もいる。彼らは、一見周囲に対する優位を確保している様に見えても、知らない所でいともあっさりと論破され、敗者となっている可能性を、全く無視しているようだ。 これではまるで陰口ではないか、とも思う。しかし、自分の優位性を信じて疑わない人にとって、自分に対立するものとは、異端分子であり、狂った思考の持ち主であり、部の規律を乱すものである。だから彼らはその優位性から来る威圧によって、相手を排除する傾向にある。それでこそ、彼らは優位を保て、劣位に甘んじる者は、決して対等な論争を許されない。

例えば、コンパで、場をしらけさせるまで酒を断る人は、大勢から責め立てられ、避難を余儀なくさせられる。まるで、戦前、反戦主義者が国賊扱いされたように。おおげさ?とんでもない。そうあしらうことこそ、優位が劣位を圧しつぶしている好例だ。 「何でもええから、俺の言うとうりにしたらいいねん」みたいな口調は、論理的対応をし切れなくなった者が示す、典型的反応だ。しかし、そういう時は、素直に従うのも得策だ。それは屈辱的な服従ではなく、さっさと関わりを絶ち、感情的攻撃を避けるための自己防衛である。

つまり、子供がだだをこねている時、難解な論理で説教したり、強行策に出たりすると、益々わがままを通そうとする。この場合、ちょっと言う事を聞いてやれば、すぐ収まるのだ。もちろん、こんな繰り返しでは、その子供は自分勝手に育ち、教育上良くない。だが、その子供が将来どうなろうと知ったこっちゃない。実の子ならともかく、アカの他人なんだから・・・。

こんな批判をするには理由がある。このクラブには、独特の価値観、雰囲気、熱、概念が存在し、入部してからしばらくは、行事ごとに、その鮮烈さが印象づき、それらにまるきり侵され、洗脳される事がある。もちろん僕も最初はそうだった。 これからクラブを盛り上げようとしている松葉君たちに、水をさす事になるかもしれないが、あまり狭い視野で、自分たちの作りあげた世界に、一辺倒にならないで欲しい。つまり、クラブとか自転車とか、アップ、距離、ダート、今までに何処を走ったかなどにとらわれすぎるあまり、周囲に盲目になってしまうと、盲目になっていない人に対して、大きな負担をかける事も考慮して欲しい。

例えば、時刻も遅いのに、雨の林道に突っ込むことが勇敢だろうか。睡眠不足で何度も事故りそうになりながら何とか到着出来るのは、無事といえるのか。これらが失敗になり、林道泊で風邪をひき、交通事故で骨折しても、「アホや」「すごいなあ」で終わらせていないだろうか。さらには、その種の注目を浴びたいがために強がって無茶をする人を、簡単に受け入れていないだろうか。このようなクラブの重大な欠陥を、どれだけの人が自覚しているだろうか。

本年度の部会を振り返る限り、「『行ける、行ける』のようなノリの中止」「秋合宿前夜の宴会禁止」が合わせて60秒くらい注意されただけで、異様な深刻さ、盛り上がりを見せた「夏合宿の場所、集合地」「女子のT.Tコース、合宿の日数」「西サ統一手信号」などとは雲泥の差である。 僕たちは若い。考え方も行動パターンもまだまだ未熟だ。もちろん、僕のこういう考え方だって。その上絶対的真実などある訳ないし、真実とは、社会によって、時代によって、個々の環境によって、ほぼ個人個人で異なると思う。

そんな中で唯一はっきりした真実とは、誰も完璧でない事。常に自分に疑問をもて。クラブに無我夢中になるな。「無我夢中」なんて、漫画の主人公を飾りたてるためだけの無責任な言葉であることを忘れるな。部員としての視野しかもてない人間になるな。僕たちは、部員であると同時に、一個人であり、学生であり、親の子供であり、一般社会の一員である事を、決して忘れるな。 ガラにもなく。厳しい言葉を連発したが、これらは、誓って昨日今日に思いついた格好だけのものではないし、不満の多かったクラブの、鼻をあかしてやろうなどという感情的意図も、(ほとんど)含んでいない。感情的というなら、発展途上の考えを記録しておきたいという哀惜の気持ち、残りは三年間の経験が育て上げた、信念によるものだ。そしてその機会を与えたのがこのクラブであった。 そういう点で、僕はクラブ活動を、無駄なく200%活用出来た。ちょっと自信過剰かもしれないけど、自分のためにもっとも活躍した自分を、自分でM.V.P.に選びたい。


P526 連盟と部と(浜野 陽氏)

俺は今年、うちの部の意見を連盟に伝えようと、部に対していろんな事を聞いた。けれども、部の反応はにぶい。「理事で考えればいい。」「連盟の事や殻連盟で考えればいい。」そんな意見の影に連盟なんかどうでもいいという考えが見える。そんな意見が続くにつれて、俺は何のために理事をやっているのだろうか、と考えるようになった。 部の大半が連盟に興味がないのなら、俺はどうすればいいのか。理事だって人間である。傷つく事もある。「連盟なんて出たい奴だけが出てれば言いやん」確かにそうである。「最後の夏休みやんか、ラリーよりツアーに出たいわ」俺だって最後の夏休み、ツアーに出たい。「そんなにラリーに出てほしいならラリー班作ればいいやん」ぶち切れである。何のためにツアー班から理事を出しているのか?俺の存在意義は? 結局、夏、俺はツアーに出れず、3回は1人もラリーに出ることなくツアーに行ってしまった。あまりのショックに俺は、部をやめようとまで考えた。みんな連盟なんてどうでもいいのである。理事のための連盟、連盟のための理事ではないのだ。部のための理事、部のための連盟でなくては、だめなのだ。 基本的に、連盟をいくら使ってもいいはずだ。部の方に意見がないもんだから、最近はいいように使われている。こんな関係はもうやめてほしい。せっかく運営費を払っているのだ。自分たちの好きなように使い、それのために理事をこき使ってほしい。理事はそのために存在しているのだから。

 


P581 安全走行に関する一般論 (牛山 牛之助氏)

前口上(言い訳ともいう)

うちのクラブでは改選を経て下の代にクラブを任せた後は、クラブの運営にはあまり口を出さないことが不文律のようなものになっていて、これは比較的よく守られているのではないかと思う。(そんな不文律を勝手に造るな!という声が聞こえてくるような気もするけれど。)これはもちろん、歴代の諸先輩(私を含む)が実に無責任であることの証左であるんだろうけど、うちのクラブが「勝ち負け」のないクラブで、クラブ運営に関して絶対的な価値or目的がないことが第一の原因でしょう(絶対的な価値がないんだから下の者の好きにやらせたい、ということ) ところが、一つだけクラブの運営に関して絶対的なものがあります。至極当たり前のことですが、「安全だけは守る」ということです。

教訓その1 ; 何で安全走行を考えなきゃいかんのかよく考えろ!!

大前提

まず、大前提として、自分の命は自分でしか守れないということを知って下さい。 次に、自分のミスあるいは判断の甘さでの事故は、はっきり言って他の部員に迷惑なだけだということを知っておいて下さい。(私が大学に入ったころ、ワンゲルが二年続きで死人を出し、クラブが潰れかけたことがある。) とくに下りの話ですが、やたらと飛ばしたがるパーな奴がコース・リーダーをしている場合、1回生はそれについていく必要は全くありません。

 

教訓その2 ;てめえの命はてめえで守れ

集団走行時の注意

(1) 隊列の組み方
先頭にコースリーダーがいるわけだが、その後ろは必ず1回生と2回生を交互に並べること。代わってその前後に入った上回の者がサポートする必要があるのです。
 
(2)上回生の役割
 
大人数になると隊列の途中で信号に引っかかることが珍しくありませんが、行くか止まるか迷った場合、絶対に行ってはいけない。
 
(3)絶対に前を抜くんじゃない!!
まず、車間の開け方であるが、特に1回生は注意して多めに開けるように。追突のことがよく言われるが、実はそれより前の自転車の後輪に前輪を横からぶつけハンドルをとられる方が余程怖い。 原則として、集団走行中は前を抜かないこと。特に注意すべきは五月T.T.後の下りである。少々前がとろくても我慢すること。

 

教訓その3 : 自覚のない上回生が多いと思いませんか?

対車

一つは自転車の前方に障害物(駐車車両、工事、道路の陥没等)がある場合です。下手に進路を変えると後ろから来た車の下敷きになります。 対処方ー後方確認を徹底すること。自分がどう走ろうとしているのかを車に伝えること。 二つ目は言わずと知れた交差点の注意です。 教訓その4 ; 死にたくなけりゃ後ろをよく見ろ 4 対歩行者 今まではこちらが被害者になる場合を想定して議論を進めてきましたが、歩道の上でこちらがこちらが加害者になる場合についても注意が必要です。 我々はけっこう簡単に歩道の上を走りますが、歩道の上ではあくまでも歩行者優先であり、おとなしく走るように。