ルーツを探る

 今のクラブにある行事や習慣の起源や変遷を遡ってみました。

夏合宿

現在ではクラブの合宿と個人ツアーは完全に区別されているが、創部当時はそういった区別はあまりなかったらしい。夏休みの1回目のツアー・2回目のツアーという意味で1年目から「一次」・「二次」という言葉が使われている。個人の裁量にまかせた走りという意味での「夏二次合宿」という言葉は昭和56年ごろまで残っていた。一方で昭和53年ごろから9月の初めに阪大に泊まって合宿が行われるようになり、「夏三次合宿」と呼ばれた。昭和57年より個人ツアーを「合宿」と呼ぶことをやめて、9月の合宿を「二次合宿」と呼ぶようになった。 夏合宿で走る地域は昔からほとんど近畿圏で、昭和54年ごろから「紀伊」・「北山若狭」・「丹波但馬」の3地区ローテーションが定着した。今年から初日の集合をやめて輪行も導入し、班ごとに変化に富んだコースを選べるようになった。

春合宿

昭和54年ごろから四国と九州のローテーションが恒例になっている。49年度や52年度には講義・討論の合宿も行われている。合宿期間を定めずに最後の集合だけを決めていた時期もあったようだ。

新歓ラン

千刈のキャンプ場(伊丹市青少年野外活動センター)での1泊ランが恒例になっている。古くは創部2年目に新入生歓迎キャンプというものが企画されている。千刈キャンプ場は昭和48年にラリーのベースとしたのが使い初めのようだ。千刈の裏手にある羽束山に、ミーティングの後で夜行登山をするようになったのは53年ごろかららしい。危ないとか寝不足になるとか言われながらも続いている。

いのこ(亥子・猪子)

「いのこ いのこ いのこもちついて はんじょうせい はんじょうせい」

このかけ声とともに一人の人間の両手両足を四人以上で持って上下に激しく振る、胴上げに似たような動作のもので、新入部員が遭遇する最初のカルチャーショックは、おそらくこの亥子だろう。

「亥子」そのものは西日本一帯の農耕儀礼だが、この歌と動作からして岡山・広島あたりの「亥子餅つき」を真似たものだろう。昭和54年ごろから我が部に入ってきたらしく、西サ連から伝搬したものにちがいない。

一般の阪大生は知らないようで、去年の正田杯では自転車かつぎチームのアンカーがゴールしたその場で亥子され、周囲に異様などよめきが巻き起こっていた。

公開サイクリング

第1回目は創部の年、昭和41年11月20日。このときは部員が3名集まるに終った。

初期には西サ連行事の一環となっていて、43年度公開サイクリングのパンフが部室に残っている。これには各大学CCのコース案内が載っている。昭和49年に鹿大で事故があってから西サ連の後援はなくなった。

昭和56年までは北摂周辺で、部員の自転車を貸し出したりして、飯盒炊爨を行う形態だった。

57年に奈良の飛鳥でレンタサイクルを使い、現在にいたる。このときは食事班が石舞台でカレーを作っていた。翌58年には雨のため飯盒炊爨を中止して外食に、以後はずっと外食ですませている。

この二大変革で公サイのイメージはかなりスマートになり、現在のクラブでは異色の活動になっている。

初夏ラン

いつ頃から始まったのか、よくわからない。昭和50年代の前半では輪行したり班ごとに日を変えたり、かなり柔軟な方法をとっていたようだ。現在は輪行せずに1泊2日で北摂・奈良・北山などを走る。57年頃には淡路島がはやっていた。別名「梅雨合宿」などという。

自転車屋

最近は上新庄の「イトーサイクル」が流行っていて、新入部員の自転車はほとんどがここでまかなわれている。「イトーサイクル」に部員が行くようになったのは57年以降で、56年度では半数以上を「豊中サイクル」で購入していたが今では閑古鳥が鳴いている。その前は京都の「イワイ」が、さらにもっと昔では「妙中自転車」がよく部誌などに登場する。またマイナーなところでは「ナニワヤ」・「トモダ」なども、一部の人間に愛用されている。「ヤマモト」のサイドバッグは圧倒的な収容力から上回生の人気の的となっている。

部誌・日記帳・その他のノート

部室に残っている一番古い部誌は昭和47年のもので、それ以降でもあちこち抜けているところがある。昔の部誌にはあらゆる情報が集中しているが、今はたくさんのノートに分散している。今あるのは、部誌(連絡事項)・日記帳(私ごと)・輪球班ノート(輪球)・部会ノート(部会の議事録)・トレマネノート(行事記録)・ランニングノート(昼のランニング)・ポタリングノート(日帰りランの記録)・装備ノート(装備管理)・言い訳帳(欠席届)・分水嶺ノート(20周年記念行事用)・OB会ノート(OB会準備用)。実にたいへんな量である。

銀輪

昭和42年10月15日創刊号発行。『銀』は阪大の校章の『銀杏』に由来する。『銀輪86』(昭和61年版)迄で13冊発行されているはずだが、部室には49年の『再刊記念号』(3号)からしか残っていない。『銀輪86』の611頁に11冊の銀輪についての記事がある。

ポタリング

他の行事のない日曜日にトレマネから指名されたコースリーダーが計画して北摂を走っている。規則では月に一度は参加することになっているが、参加状況はいまひとつ。この方式は昭和55年の秋より続いている。

これ以前にも日帰りランの企画はあったようだが、旧部誌だけではあまり詳しくわからない。

昼休みランニング

昼休みに石橋キャンパス外周を走るというトレーニングは、創部当時から行われていたそうだ。

ランニングの後の整理体操で我が部に特徴的なのは腕を伸ばした状態で手の指を閉じたり開いたりするもので、10×15で150回曲げ伸ばししていることになる。これは43年に既にあったらしく、当時のアルバムにも残っている。20年近く同じ体操をやっているのだろうか。

正田杯争奪駅伝大会

昭和42年以来ほぼ毎年出場している。47年に男子優勝し、多田(44)氏が区間賞をとっている。最近では毎年10チーム以上出場して、最強チームは常にベスト10入りしている。

昭和54年からトレーニングをさぼる罰として、自転車をかついで走るのが始まった。閉会式の直前に自転車をかついだアンカーがゴールするのも恒例の呼び物になっている。

また51年頃までは岡田杯マラソンもクラブ行事だったようだが、連休ツアーが盛んになるなどして、下火になったもよう。

装備

ホエブスは創部当初ぐらいから使っているようだ。47年のアルバムを見ると四角いブス缶が載っている。

テントは今ではすべて部所有のドーム型テントでまかなわれている。ドームテントの導入はごく最近のことで、56年の冬に学生部から援助されたダンロップの6人用(6―Σ)が最も古い。これに味をしめて、次々にドームテントを導入した。この中には生協で買った9800円のいかさまテントや、女子なら余裕で8人は寝れる6―包(パオ)など、いわくつきのものも多い。

ドーム型テント導入前の家型テントの時代にはアメリカ軍の放出品もあった。数が足りないときに体育会から借りることもあったようだ。

装備が良くなったおかげで林道の途中での宿泊もそれほど珍しくなくなってきた。

五月山TT(タイム・トライアル)

クラブの行事記録に初めて五月山があらわれるのは43年6月で、当時の写真が部室に残っている。五月山タイムトライアルは現在では春秋の2回行われており、定例行事となったのは53年からのようだ。
 部内公式最高記録(ランドナー)
男子 11分17秒 斉藤(59) 《61.5.17》
女子 17分01秒 横井(59) 《61.5.17》

六甲山TT(タイム・トライアル)

昭和51年の秋に現在とほとんど同じ形でTTが提案された。52年にはツーリストトライアルスに組み込まれてほぼ定着し現在にいたっている。年々悪化する交通事情により60年から出発地点を変更して1kmほど短くなった。
 部内公式最高記録(ランドナー)
  旧コースでは
男子 44分14秒 山田(58) 《58.11.20》
女子 68分07秒 小山(58) 《59.11.11》
  新コースでは
男子 42分19秒 山田(58) 《60. 6. 2》
                RTT
女子 65分20秒 横井(59) 《60.11.23》
昨年より近畿学生サイクリング連盟主催の六甲山RTT(ランドナータイムトライアル)が始まり、阪大は団体戦で3位(60)・2位(61)と好成績をおさめている。

サイクル オリエンテーリング

昭和48年のラリー主管のときにOLをして好評だったという記録が残っている。53年のツーリストトライアルスからほぼ恒例化したようだ。現在は9月の夏二次合宿の中で行われている。

秋合宿

初めは大学祭に出店して試験休みに秋合宿を行っていたが、昭和45年ぐらいから大学祭の時期に合宿をやるようになった。

40年代では能登や北摂での秋合宿が目だっているが、52年に伊豆で行われ、ついで53年に初めて信州に移って、現在まで信州での合宿として定着している。50年頃に秋合宿の中でセンチュリーラン(160km前後)が行われていたが、今では耐久ランとして夏二次合宿に組み込まれている。

センチュリーラン・スタンダードライド・耐久ラン

部として初めてのセンチュリーランは昭和49年に秋合宿の中で行われた。53年からツーリストトライアルスの一環としてスタンダードライドという独立した行事になる。その後56年から夏三次合宿に取り込まれて、現在にいたる。

本来はポイント間を標準的な時間で走ることが目的でコースは個人の判断に任されていたが、57年より長距離完走に主眼を移しタイム測定もやめて耐久ランと呼ばれるようになった。5台程度の車による伴走体制が定着している。

距離は延びる傾向にあって、

    180km(56)→235km(57)→258km(58)→270km(59)→300km(60)→320km?(61)
       (雨で短縮)     (雨で短縮)
今年の9月には初期のちょうど2倍にあたるダブルセンチュリーが予定されている。

食事の前後のかけ声

 「一と二と三と四とごはん!」
 「一と二と三と四とごちそうさん!」
 「一と二と三と四と五と六と七と八と食った食った  ごちそうさまでした!」
『線路は続くよ』の替え歌の『ご飯の唄』は昔からあるようだが、上のかけ声は比較的新しくて52年頃かららしい。おそらく西サ連から入ってきたのだろう。

マップリーディング

この行事は我が部で独特の発展を見せている。本来は指定されたコースの所要時間を競うものでラインOLと呼ばれるものの自転車版なのだが、年を追うごとに変革されて他では見られない競技になっている。53年度にツーリストトライアルスとして導入されたときにはコースが指定されていたが、56年度にはコース指定が外されて、更に57年度からポストを置く替わりにポイントをまわった証拠として「橋の名前」や「電柱の数」を調べてくるようになった。

参考までに一般のOLとの比較をすれば下の表のようになる。

┌─────┬────────┬────────┬────────┬───────────────┐  
│          │ 最初(53)の    │ 現在(57〜)の  │                │  徒歩オリエンテーリング    │  
│          │ マップ        │ マップ        │ サイクルOL  ├───────┬───────┤  
│          │ リーディング  │ リーディング  │                │ スコアOL  │ ラインOL  │  
├─────┼────────┼────────┼────────┼───────┼───────┤  
│ポストを  │指定            │自由            │自由            │自由          │指定          │  
│まわる順番│                │                │                │              │              │  
│          │                │                │                │              │              │  
│ポストの  │問題・キーワード│問題・キーワード│地図上に明記    │地図上に明記  │問題・キーワー│  
│ある場所  │で与えられる    │で与えられる    │                │              │ドで与えられる│  
│          │                │                │                │              │              │  
│ポストの形│小さい札を隠して│ポスト無し      │紅白に塗り分けた│紅白・大型・  │紅白・大型・  │  
│          │置く            │                │大型のもの      │明瞭          │明瞭          │  
│          │                │                │                │              │              │  
│成績の基準│ポストに記載の質│制限時間内にまわ│制限時間内にまわ│制限時間内にま│所要時間      │  
│          │問に対する正解数│ったポイントの点│ったポイントの点│わったポイント│              │  
│          │と所要時間      │数              │数              │の点数        │              │  
└─────┴────────┴────────┴────────┴───────┴───────┘  
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